私はここ数年で親孝行というものの価値観が変わりました。
昔は、なにかしてあげる、育ててくれた恩にお返しをしてあげることだと思っていました。
今は全然違います。
8年前、私の父が亡くなりました。親孝行というものの価値観を変える切っ掛けになりました。
6年前、子どもが生まれました。私の価値観を完全に変えました。
今年、祖父が亡くなりました。私の親孝行の価値観の定着を感じました。
最後まで読んでいただけると幸いです。
父がいなくなって気付いた
急な出来事でした。婚約の報告をした1週間後にくも膜下出血でなくなりました。
私は喪主で悲しむ余裕もないぐらい、しばらく忙しかったのですが、ふと祖父母を見た時に感じたことがありました。
絶対に自分の親より早く死んではいけない
祖父母が線香をあげている時の悲しそうな顔が忘れられません。
その時、『どんなに離れていようと、元気で生きていること』これが最大の親孝行だと感じました。
葬儀や相続などが落ち着いた頃、やっと実感も湧いてきて、もう父と話ができないと思うと悲しくなってきました。その時感じたことがありました。
もっと話をしとけばよかった
『会える時に会って、話せる時に話しておく』
物をあげたり、ご飯に連れて行くなんてのはキッカケに過ぎなくて、結局は会いに行くこと、話に行くことが親孝行なのではないか。そう感じ始めました。
子どもが生まれて気付いた
子どもが生まれて、親になって価値観はガラッと変わりました。
「この子に元気でしっかり生きてほしい」「笑顔でいてほしい」
そのために自分ができることは全力でやろう。それが私の幸せかもしれない。
そう思うようになりました。
そうです。しっかり生きて、笑顔でいてほしいというのが親が子に求める一番の親孝行なのではないか。そのような結論に至りました。
困った時は頼ってほしい
なにか困った時は頼ってほしい。子どもが少しずつ大きくなって、そう思うようになってきました。
一緒に解決策を考えたい。愛する我が子が笑顔で過ごせるように。
子どもが困った時には必ず相談に来てくれる父親でありたいと思っています。
困ったとき、親を頼ることも親孝行の一つかもしれません。
祖父がいなくなって気付いた
親ではないものの、最近祖父が亡くなって気付いた事があります。
会いに行くのが最大の親孝行
ちょっと顔を出すだけで喜んでくれていた祖父の顔を思い出します。
ひ孫を連れて行った時なんて、顔のシワが3倍になったんじゃないかと思うぐらいの笑顔で喜んでいました。
なにかをプレゼントするわけでもなく、どこかにご飯に行くでもなく、ただただ会いに行く。
それだけで嬉しいと思ってもらえる。
祖父が亡くなって、遺影の笑顔を見て、そんなことを思っていました。
親孝行
・元気で生きているということ。
・会いに行く、話をしに行くこと。
・困った時は必ず頼ること。
この3つが親孝行だという結論に至りました。
そして、この3つは私自身が子どもに大人になったらしてほしいなと、ひっそり願っていることでもあります。
「大切なことは失ってから気づく」なんてよく聞きますが
親の大切さもそれそのものです。
いつか必ず来るその時に、少しでも後悔しないように、すこし親孝行というものを考えてみてはいかがでしょうか。
親のためではなく、自分のために。
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